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アニおと!!見聞録~アニメと音楽の個人ブログ~

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漫画『少女終末旅行』最終回を見た私の感想【ネタバレ注意】

終わるまでは終わらないよ。

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少女終末旅行』のご紹介

少女終末旅行が終わってしまった。1月12日にweb漫画サイトくらげバンチが更新されました。現在進行形でサーバーがおもすぎて入れません。

 

少女終末旅行 | くらげバンチ

 

わたしが少女終末旅行を知ったのは別段昔の話ではないです。ただ、ダヴィンチ恐山さんの漫画紹介記事

nuwton.com

で、少女終末旅行が紹介されていたのをきっかけに読み始めました。今見たら2017年の8月ですね。この記事は他に紹介されている漫画も面白いし、web上で無料で読めるものも紹介されているので一読の価値アリです。ダヴィンチ恐山さんのセンスを知っている方ならなおさら信頼できるでしょう。

 

そして9月には1クールのアニメ化となり、物語の中盤くらいまで放送されました。アニメが終わったのが12月の終わりごろなので短期間の間に2回も少女終末旅行ロスが来てしまい苦しんでいる方も多いのではないでしょうか。

 

 

私もそうです。特にこの手の最終話って特に引きずりますよね。この手ってなんでしょうかという話をまずしたいです。

 

少女終末旅行」はセカイ系であるか。

セカイ系とは何か。→セカイ系 - Wikipedia

 

wikipediaによれば

「一人語りの激しい」「たかだか語り手自身の了見を『世界』という誇大な言葉で表したがる傾向」がその特徴とされており

だとか

主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと

 

などと説明されていますが、同時にはっきりと定義されているわけではない、とも書かれています。

 

とは言ったものの、私の語彙力も無いですし言葉でうまく表せられるものでもありません。言ってしまえば00年代の漫画やアニメ、小説作品の流行ですね。言ったとおりいろんな定義がありますが私の中でのセカイ系についてのお話をしたいと思います。

 

00年代といえばインターネットが急速に普及しだし、個人と世界のつながりが顕著に現れるようになった激動の時代です。日本の団地に住む1個人がカリフォルニアに住む顔も声も知らない外人と会話することができるようになったのです。世界中のニュースサイトや掲示板を見て世界を知ったつもりになることもできるようになったのです。

 

その中には当然良いことばかりじゃなくて、例えばNYのビルに飛行機が突っ込んだりとか、そういう情報もずっと身近に得る事ができるようになったのです。

 

そういう風に世界の広さを実感する中で、それでもやっぱり自分の世界っていうのは自分の目の前にしか無いわけなのです。目の前にある自分の世界と、地球全体の、という意味での世界とを対比させてそれでも自分の世界で生きていくことしか出来ないと言った歯がゆさのようなものがテーマになっている作品を私はセカイ系と理解しています。

 

 

わかりやすく有名なセカイ系作品といえば『最終兵器彼女』ですね。世界中の激動に自分と彼女の生活が巻き込まれて、様々な障害の中で二人の間だけの世界を作り上げていく、抽象的に言えばこんな感じの漫画です。知ってる方も多いと思いますが、結構古い漫画で本当いおすすめなのでネタバレしないように書いたらわけわかんない説明になっちゃいました。おすすめなので読んで欲しいです。

 

最終兵器彼女』は『少女終末旅行』と同じようにディストピア感のあるセカイ系ですが、先程申し上げた私の中だけの定義で言えば『それでも町は廻っている』と言ったギャグ漫画でもセカイ系は成立すると思います。『それ町』の場合は基本的には主人公の歩鳥ちゃんの暮らす町を舞台にした日常者ですが、通り過ぎるように宇宙人や未来人が関わる話があったりします。それは単に作者の作風かもしれませんが最終話などは顕著にセカイ系感がありましたね。

とは言っても基本的にはギャグ漫画なわけです。

セカイ系なんて、別にオタクが知った顔で語るような難しいものでもないんですよ。

 

では少女終末旅行の場合はどうでしょう?彼女たちの生きるセカイは過去に「なんらかの」事情があって荒廃した世界。そこに少女が2人ぼっち。チトにとってはユーリが、ユーリにとってはチトがいることが当たり前の世界です。

 

少女終末旅行 - 2回 - pixivコミック | 無料連載マンガ

 

例えば2回でユーリが、食べ物を独り占めしようとチトに銃を向けるシーンがあります。初見だとユーリが本気でやってるのか冗談でやってるのかわからなかったです。1話の時点でユーリが楽観的な食いしん坊であるという情報しかなかったわけですから。

 

当然撃つわけないです。なぜならチトがいる世界がユーリのセカイなのですから。と最終話を読んだあとなら思えます。最終回では、逆にユーリは自分が思いがけず持っていた食べ物を当然チトに分け与えてますよね。

 

最終回の1話前、41話の時点ですでにチトがモノローグで語っていました。

「私の手…ユーリの手…肌に触れる冷たい空気…その外側にある建物…都市…その上に広がる空…こうして触れ合っている世界のすべてが…私達そのものになったみたいだ」

と。

私は本を集めたり、忘れることを嫌って日記をつけていたチトが、極限状態で日記も本も捨ててたどり着いた答えなのかな、と思いました。

続く最終回では、

「私不安だったんだ。こんなに世界は広いのに何も知らずに自分が消えてしまうのが」

「それで思った…見て触って感じられることが世界のすべてなんだって」

 とユーリに打ち明けています。これが最終回で作者のつくみずさんがチトに言わせたかったことなのかな、つくみずさんが思い描いていた最終回なんだな、って感じがします。

 

荒廃した世界に生きるたった二人にとって広い世界で過去に何があったかなんてことは何も関係がなく、ただひたすらに二人が生きる世界が広がっている。

チトの告白にユーリは

「わかるよ。私もずっとそれを言いたかった気がする」

 と言っています。もしかしたら楽観的に生きていたユーリこそ最初から真理にたどり着いていたのかもしれません。

 

チトも、こういうやつが文化を作るんだろうかと過去に言ってましたが、ユーリは人を導くことができる人間なのですね。

 

その後二人は朝焼けを見ながら世界にたった二人しか居ないことを実感します。

 

二人は最上階について何をするつもりだったのでしょうか。

 

最上階=旅の終わり

この旅はもともとおじいさんに上を目指すように言われたことが元になっています。

つまり最上階というのは単純に旅の終点であったわけです。

 

おじいさんの家から出たのは二人が未だ子供の頃でした。時間経過を見る限り二人共大人になりつつあるなか、ただおじいさんの教えを妄信していたわけではありません。

それは最終回中でもチトの言葉に現れていますし、何が正しかったのかはわかりません。それでも最上階を目指すことを選んだのです。

 

少女終末旅行 40回 | くらげバンチ

 

ケッテンクラートが故障した後、40回でユーリは銃を捨てますがチトは弾だけいくつか残しておくように、と言っています。ユーリは「わかった」と言います。これがどういう意味なのかわかりませんでした。

 

最上階に着いて、現在の所持品を二人で確認したとき、

「一つだけ残しておいた爆薬。起爆のための銃弾はユーが持ってたよね?」

 と言っています。このための銃弾かあ…うわあ

 

正直、私は二人が死ぬエンドだけは見たくなかったです。主人公が死ぬ作品は名作が多いとは言いますが、ただ単純にそんな殺生なことはせんでくださいよ~;;という気持ちと、つくみずさんは完全な絶望の最終回は描かないだろうという期待もありました。

 

この後ユーリは

「あれ、爆薬なら私も持ってるけど」

 と言っています。

 

もうおわかりでしょうが、二人にとって旅の目的地は最上階であり、ケッテンクラートが壊れた以上最後の希望が最上階であり、ここにいる二人が世界であると理解したチトは自ら命を絶つつもりだったのでしょうね。

 

ユーリも同じように、徒歩で歩く上で少しずつ荷物を減らしていく中、爆薬を残していたということはチトと同じ考えだったのでしょう。銃弾を残しておくように、との言葉に異議も唱えなかったのは、最上階に着いた時にどうするか、ということが二人の中で暗黙の了解となっていたからです。

 

ここ(最上階)にくるまでの彼女たちにとって旅とは生きることだったのでしょうか。

それを「終末旅行」なんて言葉で表すって、ポップすぎて残酷な気がします。

 

この作品はハッピーエンドなのか?

で、少女終末旅行という作品の終わり方はハッピーエンドなのでしょうか?バッドエンドなのでしょうか?

 

最終回に近づき物資も少なくなって、水で乾杯した時点でぜっつぼーぜっつぼー♪だったわけです。

 

ただ、最後にユーリが思いがけず残していたレーションお陰で二人は死を留まります。

チトが

「じゃあ、これが本当に最後の…」

 の後に何を言いかけたのか気になりますけどね。

 

ただ、二人でご飯を食べてユーリがこれからどうする?と聞きます。

 

これってつまり、絶望的だった状況から死以外の選択肢が生まれたわけです。

 

結論から言えばこの作品はバッドエンドでは無いでしょう。

 

もっといえばハッピーエンドでもないのです。なぜなら終わっていないからです。

 

最終回って、ENDとかfinとかおわりとか書かれるものですが、少女終末旅行の最後のページには何も書かれていませんでした。まるで、普通にこれからも連載が、終末旅行が続いていくかのように。

 

まるで希望の残った終わり方ですね。私が最終回に期待していた本当の形は、こういうものだったのかもしれません。

 

つくみず先生っていう人

あらためて作品を振り返って見ると、アニメが絶好調で終わった直後にこのような最終回を掲載できるということの凄さもありますね。

 

アニメのEDのアニメーションはつくみず先生自身によって描かれたものです。なんじゃそりゃ凄すぎる。

 

自分では気づかなかったのですが、EDにはチトとユーリが雪合戦するシーン(最終回)が描かれています。つくみず先生の描くつもりだった最終回はきっとずっと決まっていたのでしょうね。間延びしない最終回というのは気持ちが良いです。1読者としてはもっと続きを読みたかったのですが

 

私にできるのはBD買ってアニメ2期なりOVA発売を期待することくらいですかね。

 

物語は盛り上げて超感動とかどんでん返しがあったわけでもなく極めてあっさり終わったわけですが、つくみず先生自身の人柄というのも、

 とか呟いてるばっかりで実際のとこどんな人なのかわかりません。掴み所がないです。作者のことを知ると作品のイメージが壊れる場合もよくありますし、そういう意味で言えばこれ以上なく少女終末旅行の作者さんですね。

 

EDのシーンについての話ですが、チトとユーリが階段を降りるシーンがあります。これまでの旅で階段を降りる(下を目指す)ことなんてなかったのです。つまり描かれはしませんでしたが最上階から降りる、という選択肢も示唆されている映像なのですね。階段のデザインは違いますが。最終回目前で「暗闇」の要素を後に足したという考え方もできます。ちょっとメタですけど。

 

そう考えると、終わるまで終わらない旅は、終わってからも終わらない、のかもしれません。

azayaka-tuchiiro.hatenablog.com