久しぶりに小説を読んだ。伊坂幸太郎-「死神の精度」
久しぶりに小説を読んだ。
私は別に読書家でもないし、年に5冊ほど好きな作家の本か表紙が気になった本を買って読むくらいだ。
最近ライトノベルのことをよく考えるけど、あれだけラノベ少年だったのにあまり小説への架け橋にはなってなかったんだなあ。そういう人結構多いかも。
伊坂幸太郎は我が家で流行っている作家だ。これまで気に留めたこともなかったけれど父も母も小説が好きで、弟も家にある本を結構読んだりしている。私以外みんな小説を読んでいる気がする。
他にやることがあったから読んでないだけで小説自体は好きだ。やっと読み終えることが出来たな。
「死神の精度」はタイトルの通り死神が主人公だ。死神っているのはいろんな媒体で登場していて、漫画でも映画でも落語でも死神と言ったら一つくらい思い浮かぶものがあるだろう。と言っても構わない程度にはメジャーな題材ということだ。
人間には必ず生死が寄り添っている。死んでみないと生きている実感がわかないみたいな言葉もあるくらいだから多勢の人にとっては生きていることよりも死ぬことについて思いを馳せる事が多いんじゃないだろうか。
この小説が舞台になっているのは普通の社会だ。今もどこかで起こってるんじゃないか、と思うような小さな事件が短編集としてまとめられている。
死神は人が死ぬ8日前にその人の前に現れ、8日間行動をともにし「可」か「見送り」かを判断する。「可」というのはつまり8日後にその人が死ぬということだ。
死神はそのときどきにおいて初老だったり、妙齢だったり、美形だったりと姿を変えて突然あらわれる。そして「可」か「見送り」かを判断してその場を去る。
あらすじを書けばこんなところだが、実際に小説ではあまりその人の生死について深く語られることは少ない。
死神は事務的に仕事をこなしつつ、様々な人々に出会う。いずれの物語も、人間社会、あるいは文化に対して疎い死神が出会いの中で様々な経験をしていく、短編物語だ。
ううん、うまく言語化出来ないな。ヒューマンストーリーというには仰々しいが、いろいろな人間の人生のうち、死ぬ間際だけを切り取ってスライドショーをみているような、そんな小説だ。そしてそれは死神にとっても同じことで、いくつもの人間を「可」にしてきた死神にとっては人の生死など別段どうでもよく、興味も無い。そんな死神のレンズを通して語られる文章はドラマティックではないがどこかリアリティに満ちたものとなっている。
特に、死神の精度と題した短編集の一作目。※ちょっとネタバレます。
死神は7日間行動をともにした人間の生死をコイントスで決めることにした。
この物語では、人間の生死というのはその程度のものなのだ。それが、「死神の精度」であり、生死を司る神にとってはその程度のものでしか無いということなんだよね。
私は工学系なのでなおさら精度という言葉に敏感になってしまう。
こんな話もあった。その日死神が担当した人間は、過去に恋人を亡くし、夫を亡くし、息子を亡くしていた。人間の生死にはいずれにしても死神が関わっているのだが、これほどまでに周囲の人間が死んでいくことなどあるのだろうか、というのをたまたま街で出会った他の死神に尋ねると「偏ってるって言っても、誤差みたいなもんじゃない」
誤差というのは本来無いものとして考えるものだ。しかし避けられないから誤差として仕方なく認めている。死神にとってはそんなこと、「どうしようもないしどうもしなくて良いんじゃん?」程度のものだということ。
死神はどのような基準で死ぬ人間が選ばれるのかを知らない。誰がそれを司っているのかもわからない。全能ではない人間を裁いて(あるいは捌いて?)いるのは不完全で全能ではない死神ということ。
デス・パレードというアニメがある。私は学がないのでアニメで例えるしか出来ないのだが。デス・パレードは死後の人間二人をゲームで争わせて、その二人が天国へ行くべきか地獄へ行くべきかを判断する「裁定者」の話だ。
しかし物語終盤では、自分がどのように作られた存在なのか、なぜ自分が審判を下すなどという事をしているのか、そもそも天国や地獄とはなにか、といったことに悩んでいく姿を描いている物語だ。
死神の精度はこれよりはもっとドライに死神の姿を描いているが、どのようにして死ぬ人間を選んでいるのか?といった疑問を抱く。その答えは語られないが、個人的にはこういうのはフィクションの醍醐味だな、と。
読者はこういうもんですよって語られるものをそうなのか、って読んでいくしか無いわけで、でもそこには確かに疑問が存在したっていうことが馬鹿な私は語られるまで気づけ無いんだよね。
死神を題材にした物語は多い。小説家になるともれなく死を題材にかくという話も聞いたことがある。誰も死後のことなんてわからないから好きなようにフィクション出来るから、だとさ。
私は伊坂幸太郎の小説は初めて読んだけど、読書家な人にとっては「伊坂さんはこういう風に死を解釈したのね。」みたいな楽しみ方も出来るんじゃないかな。