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アニおと!!見聞録~アニメと音楽の個人ブログ~

アニメと音楽に関する個人ブログです。アニメやAV機器のレビューをします。

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アニメ化しそうな漫画紹介【その5】CITY

アニメ化しそうな漫画紹介。アニメ化する前に読んどいて、アニメ開始してから「俺その作品○年前から知ってたわ~」ヅラをするのにおすすめなシリーズ。

 

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『CITY』という漫画を紹介しようと思う。正直アニメ化してほしい漫画は他にもたくさんあるんだけれど、「日常」があれだけギャグアニメとして評価された過去があっては、いずれアニメ化するんじゃないかと期待できる作品だ。

 

作者・あらゐけいいちは、前述した「日常」で有名な漫画家だ。以前は角川の「少年エース」で日常を連載していたのだけれど、現在は講談社「モーニング」で連載している。
まあ「日常」自体少年漫画雑誌に乗るとしてもシュールだったから、どちらかと言ったらモーニングっぽいけれど、なんで出版社変わったんだろうね。邪推はたくさんできるけどしないよ。

 

「CITY」のギャグ漫画としての魅力は「日常」と同じところにあると思っていて、これはあらゐ先生の漫画全般に言えることなんだけれど、順番に挙げていくよ。
とは言ってもギャグを分析するみたいな感じで恥ずかしいから手短にやるよ。


まず大前提として私はいわゆる群像劇モノが大好きだ。

色んな人のいろんな行動を画面に映して、最後にそれが一つにまとまる、みたいな話が好物です。

並列処理していった結果、最終的に頭の回路にうまく電流が流れたみたいな達成感を感じることができるのっていいよね。


それで言ったらあらゐ漫画は舞台装置に群像劇というセットを使った上でギャグ漫画を成立させていて、これがとても効果的に機能していると思う。

 

ギャグ漫画であることの利点は、群像劇としてのオチが必要ないところだと思っている。
例えばさっきの「群像劇」の簡単な例でいうと、『色んな人のいろんな行動』が『最後に一つにまとまる』というオチに収束することが物語の大トロになるわけだが、ギャグ漫画である以上は一つ一つの物語自体がオムニバスとして成立してさえいれば大トロは必要ない。

 

それこそ漫画雑誌という媒体で1話完結として連載している以上、その話に内包されているオチを毎回味わえばよくって。
群像劇という舞台装置を選択しているにもかかわらず、群像劇としてのオチを必要としない、このような形の作品はいくつもあるけれど、これにギャグ漫画というのはとてもマッチしているんだなぁと。

 

(ギャグ・コメディ含めた広義の意味での)ギャグ漫画という括り1つとっても、そこにはストーリーを必要としない漫画もたくさんある。
キャラクターさえいればどうとでも作れる作品もあり、「日常」はどちらかというとこれに含まれる。
しかしそこに各話同士の関連性を持たせた結果、軽い群像劇としての面白さも含まれ、どちらかというとこれが視聴者のモツにハマった結果世間からこれほどの評価を受けるまでになったのだろうな。

群像を描いた漫画に「日常」や「CITY」と名づける作者の美的感覚にも痺れるよね。


「CITY」で用いられているのも「日常」と同様の形式だ。「日常」が好きだった人ならばもれなく「CITY」も受け入れることができるはず。
「日常」は終わってしまったが、「CITY」にも「日常」のキャラクターが描かれていたりと世界観は同じっぽいし、実質続編みたいなものだろう。1stとZみたいなもんだ。

まあ考えてみれば、キャラクターありきで成り立つギャグではあるものの、ネタが尽きてもキャラクターと舞台を変えてしまえばいくらでも続きを書けるということなんだろうか。

 

「日常」では女子高校生の日常を描いていたけれど、それをさらに街サイズに広げたのだから書ける話の幅も増えたってもんよ。
絵柄もかわいらしいとギャグ映えの中間を行ってて読みやすいし、いい漫画だなあと。


と、ギャグ漫画にはちょっとうるさい新野がいま「ヒナまつり」と同じくらい大好きな「CITY」のご紹介でした。おすすめです。

↓から読めるので、どんなもんか覗いてみては。