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アニおと!!見聞録~アニメと音楽の個人ブログ~

アニメと音楽に関する個人ブログです。アニメやAV機器のレビューをします。

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感想「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」5話、色んな王道が混じっていて最高だな~って話

秋アニメ「青春ブタ野郎

原作小説のことを考えると、どうやらこのアニメは巻ごとに別のヒロインが居て、それぞれの女の子と仲良くなりつつ、とっかえひっかえ青春することから主人公が「青春ブタ野郎」と呼ばれている。

 

まあメインヒロインは1巻(アニメだと1~3話)のバニーガール先輩で、きっと主人公の朔太がそれ以外になびくことはないだろう。

これを書いたときに、「ラノベ文法」「この手のSFっていうのは擦られすぎているような気もする」「いわゆるヤレヤレ系主人公」だとか、けなしているわけではないけれどあくまでライトノベルアニメなんだなっていうことを思った。

私は元々ラノベを好いていたタイプの人間なので別にそれをマイナスとは思っていないのだが、やっぱり自分の中でラノベは過去のものになっているという感は否めない。今更SAOにはハマれないだろうし。

 

で、いまんとこ5話まで見ているんだけれど、周りから姿が観測できなくなるバニーガール先輩のあとは、嫌なことが起こるたびにループを引き起こすニセ彼女後輩がヒロインに抜擢されている。

 

シュレディンガーの猫」を例えに出したかと思えば次は「ラプラスの悪魔」か…。全然関係ないけれど物理学者とか数学者ほどこういった哲学めいた考えを後世に残しているのは面白いよね。時代的な問題なのだろうか。

現代に生きている私はシュレディンガーピタゴラスも過去の学者として一括りして、その上でふたりとも「数学者でもあり、哲学者でもある」と認識してしまっているけれど、現在進行系で数学を極めすぎていて宇宙の真理にたどり着いてしまった数学者もいるのかもしれないからそんな雑なくくり方はするべきではないよなあ、と思う。

 

いや、そんなことはどうでもいいんだ。要は、このアニメはSFを題材に居た学園モノであるということは、上記のワードを聞いたらすぐに理解が及ぶところだろう。

 

あらすじについて詳しく説明するのは面倒だし記述はしないでおくが、4話でループ現象を引き起こす後輩が登場し、とある要因で早々にループから脱出するのだけれど、5話の終わりにまた不穏さ雰囲気を醸し出している。

要は、1学期限定で彼氏のふりをしている朔太のことを本気で好きになってしまい、(ここから想像)きっと6話では別れたくないからとループを引き起こし、「朔太がこのまま付き合うことでループから脱出するか(しかし根本的解決にはなっていない)」「後輩と別れ、飽きるまでループを繰り返すか」みたいな2択を迫られるのだろうな~~!!でもそれを言葉の力で説得して、ちゃんと「親友」になるんだろうな~!みたいな。そんな予想ができちゃう。

(それがあっているかどうかは置いといて、)想像できちゃうんだけど、それが結局いいんだよな~っていう。

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「嘘が終わったら友達になってくれ」「しょうがないから親友になってあげます」

また全然関係ない話に飛び火するけど、近年は「異世界転生モノ」が(主にラノベとなろうで)流行っている。それに関して良いか悪いかは置いといて、流行っているから書くって何?と思ってしまう。勿論作家は文章を書くというのが仕事だし、それを売上につなげることが一番大事ではあるんだけれど、みんながやっていることをやってても、見ている方からしてみれば「ああ、~~っぽいやつね」となってしまう。

 

青春ブタ野郎」はラノベ文法だし、ラノベでしか不可能なフォーマットの作品だし、物理現象を例に上げつつやっていることは結局恋愛活劇じゃねーか!だったり、「これ、伏線だぁ~!!」って思っちゃうような出来事が隠されもせず起こっていたり、ケチをつけようと思えばつけることが出来る作品だと思う。

思うけれど、このラノベっぽさが私にはどうにも郷愁をそそられつつ、見続ける要因になっているような気がする。ラノベとして、そしてSFとしての王道をピックして作品を仕上げている感じ。「涼宮ハルヒ」及び谷川流が私にとってのラノベイコール、だからなのかもしれないが、SF学園モノはラノベの中で1番唆られる設定だ。

 

きっと作者はライトノベル文化が好きなのね~と思いつつ、それでも頭が良くないとSFなんて題材は選ばないし、いわゆる「ハーレムモノ」ではなく区切りをうってヒロインを交代させつつ、メインヒロインはずっと変わらないという形式をとっているあたりさぞ懐が深いんだろうと思わせられる。

王道のテーマを選んでいるからこそ、こういう物語としての小技みたいなものが効いていて、私は目が話せなくなっている。誰にでもできる安易な恋愛ではなく、こういう形式の物語だからこその恋愛テーマの扱い方をする必要性が生まれてくる。

 

「既視感はあるけれど新しい」みたいな。

勿論、これを読んでいる中学生は私にとっての涼宮ハルヒみたいな、培われていない王道を突きつけられて新しい世界を垣間見ることになるんだろうね。それもラノベの素晴らしいところだ。ライトノベルの語源に通ずる役割を果たしているというか。

 

とにかく、派手な戦闘シーンも露骨なお色気シーンも美麗な作画も無いが、「必要十分なラノベアニメ」だと思うし、SFってどういう意味なん?みたいな人にこそ観てほしいアニメだ。