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アニおと!!見聞録~アニメと音楽の個人ブログ~

アニメと音楽に関する個人ブログです。アニメやAV機器のレビューをします。

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久しぶりに小説を読んだ。伊坂幸太郎-「死神の精度」

久しぶりに小説を読んだ。

私は別に読書家でもないし、年に5冊ほど好きな作家の本か表紙が気になった本を買って読むくらいだ。

最近ライトノベルのことをよく考えるけど、あれだけラノベ少年だったのにあまり小説への架け橋にはなってなかったんだなあ。そういう人結構多いかも。

 

伊坂幸太郎は我が家で流行っている作家だ。これまで気に留めたこともなかったけれど父も母も小説が好きで、弟も家にある本を結構読んだりしている。私以外みんな小説を読んでいる気がする。

他にやることがあったから読んでないだけで小説自体は好きだ。やっと読み終えることが出来たな。

 

「死神の精度」はタイトルの通り死神が主人公だ。死神っているのはいろんな媒体で登場していて、漫画でも映画でも落語でも死神と言ったら一つくらい思い浮かぶものがあるだろう。と言っても構わない程度にはメジャーな題材ということだ。

 

人間には必ず生死が寄り添っている。死んでみないと生きている実感がわかないみたいな言葉もあるくらいだから多勢の人にとっては生きていることよりも死ぬことについて思いを馳せる事が多いんじゃないだろうか。

この小説が舞台になっているのは普通の社会だ。今もどこかで起こってるんじゃないか、と思うような小さな事件が短編集としてまとめられている。

 

死神は人が死ぬ8日前にその人の前に現れ、8日間行動をともにし「可」か「見送り」かを判断する。「可」というのはつまり8日後にその人が死ぬということだ。

死神はそのときどきにおいて初老だったり、妙齢だったり、美形だったりと姿を変えて突然あらわれる。そして「可」か「見送り」かを判断してその場を去る。

 

あらすじを書けばこんなところだが、実際に小説ではあまりその人の生死について深く語られることは少ない。

死神は事務的に仕事をこなしつつ、様々な人々に出会う。いずれの物語も、人間社会、あるいは文化に対して疎い死神が出会いの中で様々な経験をしていく、短編物語だ。

ううん、うまく言語化出来ないな。ヒューマンストーリーというには仰々しいが、いろいろな人間の人生のうち、死ぬ間際だけを切り取ってスライドショーをみているような、そんな小説だ。そしてそれは死神にとっても同じことで、いくつもの人間を「可」にしてきた死神にとっては人の生死など別段どうでもよく、興味も無い。そんな死神のレンズを通して語られる文章はドラマティックではないがどこかリアリティに満ちたものとなっている。

 

特に、死神の精度と題した短編集の一作目。※ちょっとネタバレます。

死神は7日間行動をともにした人間の生死をコイントスで決めることにした。

この物語では、人間の生死というのはその程度のものなのだ。それが、「死神の精度」であり、生死を司る神にとってはその程度のものでしか無いということなんだよね。

私は工学系なのでなおさら精度という言葉に敏感になってしまう。

 

こんな話もあった。その日死神が担当した人間は、過去に恋人を亡くし、夫を亡くし、息子を亡くしていた。人間の生死にはいずれにしても死神が関わっているのだが、これほどまでに周囲の人間が死んでいくことなどあるのだろうか、というのをたまたま街で出会った他の死神に尋ねると「偏ってるって言っても、誤差みたいなもんじゃない」

誤差というのは本来無いものとして考えるものだ。しかし避けられないから誤差として仕方なく認めている。死神にとってはそんなこと、「どうしようもないしどうもしなくて良いんじゃん?」程度のものだということ。

 

死神はどのような基準で死ぬ人間が選ばれるのかを知らない。誰がそれを司っているのかもわからない。全能ではない人間を裁いて(あるいは捌いて?)いるのは不完全で全能ではない死神ということ。

 

デス・パレードというアニメがある。私は学がないのでアニメで例えるしか出来ないのだが。デス・パレードは死後の人間二人をゲームで争わせて、その二人が天国へ行くべきか地獄へ行くべきかを判断する「裁定者」の話だ。

しかし物語終盤では、自分がどのように作られた存在なのか、なぜ自分が審判を下すなどという事をしているのか、そもそも天国や地獄とはなにか、といったことに悩んでいく姿を描いている物語だ。

 

死神の精度はこれよりはもっとドライに死神の姿を描いているが、どのようにして死ぬ人間を選んでいるのか?といった疑問を抱く。その答えは語られないが、個人的にはこういうのはフィクションの醍醐味だな、と。

読者はこういうもんですよって語られるものをそうなのか、って読んでいくしか無いわけで、でもそこには確かに疑問が存在したっていうことが馬鹿な私は語られるまで気づけ無いんだよね。

 

死神を題材にした物語は多い。小説家になるともれなく死を題材にかくという話も聞いたことがある。誰も死後のことなんてわからないから好きなようにフィクション出来るから、だとさ。

私は伊坂幸太郎の小説は初めて読んだけど、読書家な人にとっては「伊坂さんはこういう風に死を解釈したのね。」みたいな楽しみ方も出来るんじゃないかな。

感想「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」5話、色んな王道が混じっていて最高だな~って話

秋アニメ「青春ブタ野郎

原作小説のことを考えると、どうやらこのアニメは巻ごとに別のヒロインが居て、それぞれの女の子と仲良くなりつつ、とっかえひっかえ青春することから主人公が「青春ブタ野郎」と呼ばれている。

 

まあメインヒロインは1巻(アニメだと1~3話)のバニーガール先輩で、きっと主人公の朔太がそれ以外になびくことはないだろう。

これを書いたときに、「ラノベ文法」「この手のSFっていうのは擦られすぎているような気もする」「いわゆるヤレヤレ系主人公」だとか、けなしているわけではないけれどあくまでライトノベルアニメなんだなっていうことを思った。

私は元々ラノベを好いていたタイプの人間なので別にそれをマイナスとは思っていないのだが、やっぱり自分の中でラノベは過去のものになっているという感は否めない。今更SAOにはハマれないだろうし。

 

で、いまんとこ5話まで見ているんだけれど、周りから姿が観測できなくなるバニーガール先輩のあとは、嫌なことが起こるたびにループを引き起こすニセ彼女後輩がヒロインに抜擢されている。

 

シュレディンガーの猫」を例えに出したかと思えば次は「ラプラスの悪魔」か…。全然関係ないけれど物理学者とか数学者ほどこういった哲学めいた考えを後世に残しているのは面白いよね。時代的な問題なのだろうか。

現代に生きている私はシュレディンガーピタゴラスも過去の学者として一括りして、その上でふたりとも「数学者でもあり、哲学者でもある」と認識してしまっているけれど、現在進行系で数学を極めすぎていて宇宙の真理にたどり着いてしまった数学者もいるのかもしれないからそんな雑なくくり方はするべきではないよなあ、と思う。

 

いや、そんなことはどうでもいいんだ。要は、このアニメはSFを題材に居た学園モノであるということは、上記のワードを聞いたらすぐに理解が及ぶところだろう。

 

あらすじについて詳しく説明するのは面倒だし記述はしないでおくが、4話でループ現象を引き起こす後輩が登場し、とある要因で早々にループから脱出するのだけれど、5話の終わりにまた不穏さ雰囲気を醸し出している。

要は、1学期限定で彼氏のふりをしている朔太のことを本気で好きになってしまい、(ここから想像)きっと6話では別れたくないからとループを引き起こし、「朔太がこのまま付き合うことでループから脱出するか(しかし根本的解決にはなっていない)」「後輩と別れ、飽きるまでループを繰り返すか」みたいな2択を迫られるのだろうな~~!!でもそれを言葉の力で説得して、ちゃんと「親友」になるんだろうな~!みたいな。そんな予想ができちゃう。

(それがあっているかどうかは置いといて、)想像できちゃうんだけど、それが結局いいんだよな~っていう。

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「嘘が終わったら友達になってくれ」「しょうがないから親友になってあげます」

また全然関係ない話に飛び火するけど、近年は「異世界転生モノ」が(主にラノベとなろうで)流行っている。それに関して良いか悪いかは置いといて、流行っているから書くって何?と思ってしまう。勿論作家は文章を書くというのが仕事だし、それを売上につなげることが一番大事ではあるんだけれど、みんながやっていることをやってても、見ている方からしてみれば「ああ、~~っぽいやつね」となってしまう。

 

青春ブタ野郎」はラノベ文法だし、ラノベでしか不可能なフォーマットの作品だし、物理現象を例に上げつつやっていることは結局恋愛活劇じゃねーか!だったり、「これ、伏線だぁ~!!」って思っちゃうような出来事が隠されもせず起こっていたり、ケチをつけようと思えばつけることが出来る作品だと思う。

思うけれど、このラノベっぽさが私にはどうにも郷愁をそそられつつ、見続ける要因になっているような気がする。ラノベとして、そしてSFとしての王道をピックして作品を仕上げている感じ。「涼宮ハルヒ」及び谷川流が私にとってのラノベイコール、だからなのかもしれないが、SF学園モノはラノベの中で1番唆られる設定だ。

 

きっと作者はライトノベル文化が好きなのね~と思いつつ、それでも頭が良くないとSFなんて題材は選ばないし、いわゆる「ハーレムモノ」ではなく区切りをうってヒロインを交代させつつ、メインヒロインはずっと変わらないという形式をとっているあたりさぞ懐が深いんだろうと思わせられる。

王道のテーマを選んでいるからこそ、こういう物語としての小技みたいなものが効いていて、私は目が話せなくなっている。誰にでもできる安易な恋愛ではなく、こういう形式の物語だからこその恋愛テーマの扱い方をする必要性が生まれてくる。

 

「既視感はあるけれど新しい」みたいな。

勿論、これを読んでいる中学生は私にとっての涼宮ハルヒみたいな、培われていない王道を突きつけられて新しい世界を垣間見ることになるんだろうね。それもラノベの素晴らしいところだ。ライトノベルの語源に通ずる役割を果たしているというか。

 

とにかく、派手な戦闘シーンも露骨なお色気シーンも美麗な作画も無いが、「必要十分なラノベアニメ」だと思うし、SFってどういう意味なん?みたいな人にこそ観てほしいアニメだ。

秋アニメ「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」日常系SFファンタジーでちょっと面白い

秋アニメ始まりましたね。

今期もいろいろとめぼしいアニメはありますが、「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」というアニメは見ていますか?

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1話~3話のヒロイン 桜島麻衣

峰ヶ原高校の2年生・梓川咲太は、ある日、図書館でバニーガールと出会う。その正体は、咲太と同じ高校の3年生で活動休止中の国民的女優、桜島麻衣だった。周囲からひと際目立つ麻衣だが、何故か彼女の姿は周囲の人間には見えていなかった。
麻衣から金輪際、私に関わるなと言われるも気になった咲太は翌日、駅のホームで見かけた彼女に話しかける。そして咲太は、麻衣の身に起こっている不思議な現象について聞かされる。

と、あらすじはこんなかんじ。今年で25周年になるラノベの鉄板レーベル・電撃文庫から原作小説が出ているアニメだ。

私と言えばラノベアニメについてちょっとだけ偏見を持っていることで有名ですが、このアニメはちょっと面白いと思ったので紹介してみるよ。

 

青春ブタ野郎」は、基本的には現代の高校、しかも神奈川県は藤沢という実在の土地を題材にしているということで現実的な背景がありつつも、「思春期症候群」という言葉が一般的に認知されている世界だ。

この「思春期症候群」がどうやらこのアニメをSFというかファンタジーたらしめるもので、よく言う「中二病」とかとは全然意味が違う。

例えばメインキャラクターの一人である主人公の妹・梓川カエデは中学時代にSNSによってクラスメイトからのいじめを受けたところ、心の傷が実際に体を傷つけ、血が吹き出すといった現象に見舞っている。

これは自傷行為の隠喩とかではなく、実際に次々体に裂傷が刻まれていくさまが1話で描写されている。

 

まあ、こんな風に「現実では有りえない事象」が起こりうる世界のお話というわけだ。

そんななか、先程画像で登場したメインヒロイン・桜島麻衣も同じように思春期症候群にかかってしまう。そんな先輩と出会った主人公の梓川朔太は、先輩のみに起こるちょっと不思議な出来事に巻き込まれていく…。

 

ジャンルを一言で言えば「日常系なんちゃってSFファンタジー」だ。全然一言じゃねえ、っていうのはおいといて、まあこういうのはラノベだとよくあるんじゃないかな。「涼宮ハルヒ」とかね。

言ってしまえばこの手のSFっていうのは擦られすぎているような気もするが、なんとなく懐かしい雰囲気がして見入ってしまう。

 

台詞やモノローグはいわゆるラノベ文法で、無駄に回りくどくてめんどくさい言葉を使った言い回しって感じ。これに関しては、最近のラノベだなあって感じ。

しかも、主人公の朔太くんはいわゆるヤレヤレ系主人公だ。私はヤレヤレ系主人公好きなんだけどあなたはどう?これって結構好き嫌い分かれるよね

キョンとか、折木くんとか、なんか落ち着いている主人公って憧れなんだよね。私自身が普段落ち着きが無いからなのかもしれないけれど、現実でも好きな男性のタイプ(BL的な意味ではなく)がクールな男だったりするので、「青春ブタ野郎」の朔太くんも全然好き。

 

ところでこういうのって、せっかく学校が舞台なんだから何かしらの部活だったりサークルだったりを作るのかと思いきや全然そんな事無くて、過去に暴力事件を起こして孤立している主人公の周りには数少ない友人の国見佑真と学校唯一の科学部員の女子・双葉理央と妹のカエデだけ。

この科学部の女子っていうのが、とりあえずアニメ見た限りでは1番頼りになる存在で、いろんな科学トリビアを披露して不思議な出来事を理論付けようとしてくれる。まあ、実際は摩訶不思議なファンタジーなので理屈なんて存在していない事件なんだけどね。

 

とにかく、今はまだ3話しか見てないのもあるけど、とても人間関係が狭い。その中で、思春期症候群の原因である「周囲の空気」に立ち向かっていくことがこのアニメの燃えるところだ。

 

有識者ならこのアニメを社会問題と結びつけてどーたらこーたら言えそうだが私は幸いにも有識者ではないのでそんな事は言わない。ただ、周囲の空気に従ってイジメに加担することに、見て見ぬふりをすることに、安全策をとって逃げることに対して、凡人である主人公が一石を投じる。たったそれだけのテーマに絞っているからこそとても見やすいアニメだ。

 

ラノベだけあって難しすぎないSFだ。SFをあまり見ない人でも、高校生が題材になっているのに加えて恋愛要素のようなテイストが加わって見やすいんじゃないだろうか。こう書くと本当にごった煮だな…。

 

余談だけど、どうやら「藤沢」以外にもいくつか現実の地名が登場するらしい。2話では岐阜県大垣市が登場して何だそのチョイスとなった。まあ、こういうところでありえない設定のアニメを現実に落とし込んでいる感じがして良い演出になっていると思う。他にも気になるアニメが多い2018年秋アニメですが、ぜひ「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」を見てみてはいかがでしょうか。

アニメ「ARIA」の町並みをVRで体験できるアプリがあるらしい…

ARIAの説明からしたほうが良い??しなくていい??するわ。

ARIAっていうのは原作・天野こずえによるSF日常漫画だよ。火星をテラフォーミングした水の星に浮かぶ「ネオ・ヴェネツィア」という架空の街を題材にした少女たちの成長&日常物語だ。既に3度のTVアニメシリーズと、劇場版OVAも公開されている。

今年の春にアニメ2期をやっていた「あまんちゅ!」と同じ原作者で、クロスオーバーなども行われている。

公式でヒーリングアニメだとかヒーリングコミックだとか言うくらい、とにかくこの物語は眺めているだけで幸せになるような暖かな物語だ。もし100年前にARIAがあれば人々の心は安らぎ、WW1なんて勃発しなかっただろう。

 

 

正直、私は自分の好きなものを過度に神格化しすぎるところがあると思うが、それを差し置いてもめちゃくちゃ最高のアニメだ。永遠に観ていたいアニメNo.1と言っても過言ではない。私の夢はリアルに将来ヴェネチアに移住することだ。

 

まあ、というように私のようなARIAに虜になった人間は非常に多い。アニメ1期は2005年の放送で、既に13年の歴史があるが、それでも未だにオンリー同人イベントが開かれるほどだ。

 

そう、今回の本題はオンリーイベントについてだ。

11月に開催されるARIAオンリーイベントARIA CARNVAL15」で出品される作品に、なんとVRARIAの街並みを再現したアプリが出展されるとのことだ。

こちらがその陰謀を図っているノーベルチョコ氏のツイートだ。

 ノーベルチョコ氏はこれまでもカスタムメイド3d2を用いてヨーロッパを中心とした風景・街並みのMODを作成してきた方だ。ツイートを拝見しているとどうやら海外出張がてら様々な街へ旅行し、データを集めてMOD作成をしているらしい…すごい。技術を持っている人が本気になるとこんな事出来るのか…

 

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Twitterのデモ映像より。あのウンディーネの姿も

そんなノーベルチョコ氏が9月にヴェネチアに旅行し、そのデータを使ってネオ・ヴェネツィアの町並みを再現したらしい。そして11月のオンリーイベントでそのVRアプリの展示を行うんだとさ。何だそりゃ!!最高かよ!!

 このように、実際に歩いて見せた動画もTwitter上に投稿されている。アニメや漫画で観た場所が出てきたり、あるいは主人公・灯里ちゃんの寝泊まりしているARIA COMPANYも再現されているのかな??と期待。

 

ブログには記事を上げていないけれどちょうど10月の頭にVR機器を購入したので、こんなタイミングで素晴らしい情報が舞い込んできたことにテンションがあがりまくりだ。

 

ただ、本当に惜しむらくはオンリーイベントの開催が川崎なんだよなあ。

私は名古屋住みなので、大学をズル休みして川崎まで行くのはちょっと大変なのだよなあ。こういうイベント関連の話になると関東住みの人が羨ましいぜ 。

 

私のような人もたくさんいると思う。がどうやらイベント後に何らかの形で公開するらしい。めちゃくちゃありがてえな。課金させてください。

 

こういうふうに、良い作品が長く人々に愛されているのは嬉しいことだ。今年の年末も5chのARIAスレで「アウグーリ・ボナンノ」と書き込むことにしよう。

 

そこのARIA好きなあなた、VRヘッドセットこれを期に購入するのも悪くないんじゃないですか??

そこのARIA未視聴のあなた、日常系アニメの金字塔ARIAを今更とか思わないで見てみませんか?素敵なひとときをご一緒しましょう??

復活した最強の音楽再生ソフト「Winamp」の思い出を平成生まれが語る

Winamp

かつて未だCDでの音楽再生が主要だった時代に、いち早く軽量かつ高音質な.mp3ファイルを用いた音楽管理&再生を世界中に広めたソフトだ。

 

古くは1997年にシェアウェアとして発表され、その後はユーザーによるプラグインやスキンの作成、視覚的なインターフェースによる音楽ファイルの管理、更にストリーミング再生によるネットラジオの視聴が可能になるなど数々の功績を残した、デスクトップオーディオ界では伝説的なソフトだ。

 

しかし、2002年ごろのアップデートを期に動作の重さ、不安定さが問題となり徐々にシェア率は低下、そして2013年には公式に開発中止が発表されている。しかしその功績は多大で、後のiTunesやfoober2000といった音楽管理ソフトの礎を築いたと言っても過言ではない。

 

…っていうのがWinampというソフトの歴史になるんだけど、実は2018年10月16日本日、Winampの新バージョンによる復活がアナウンスされた。

バージョン配信は2019年中とのことだ。

装い新たに登場するWinampはPC内の音源は勿論のこと、クラウドポッドキャスト、ストリーミングラジオ局、自分で作ったプレイリストなどさまざまな音楽をWinampで聴くことが可能になるとのこと。

以下の記事ではこのように紹介されている。

これまでは、スマートフォンの音楽プレーヤーに加えてストリーミングサービスやポッドキャストなどのアプリがスマートフォンにいくつもインストールされて使い分けてきましたが、Saboundjian氏の発言からは、その煩わしさを解消するワンストップ型のアプリ/サービスになるものとみられます。

世界的人気を誇った音楽プレーヤー「Winamp」がクラウド再生やストリーミング対応して2019年に復活予定 - GIGAZINE

 

2019年に発表されるWinampの新バージョンは、windowsだけではなく、AndroidiOS向けのアプリケーションも用意されているとのこと。

自分の話になってしまうが、私は現在自宅では据え置きのネットワークストレージ(NAS)に音源を保存しiPadで操作・再生をしつつ、同時にストリーミングサービスSpotifyも用いることがある。

本来であればNAS内の音源を管理するアプリを用いてそのままSpotifyも管理できればよいのだが、残念ながらそのようなことは出来ない。

理想で言えば自宅内の音源とストリーミングの音源をごった煮にしてプレイリストにすることができればよいのだが…。

 

現在、日本では正式にサービスが始まっていないTidalというストリーミングサービスと、音楽管理アプリケーションRoonを用いることによって上記のような"ローカルとストリーミングの垣根を超えた音楽管理"をすることが可能である…らしいのだが、残念ながら国内アーティストの配信が無いことと、Roonを用いるための設備投資、それにRoonアプリケーションの年額を支払うことが今の私には難しいのでただ指を加えていることしか出来なかった。

 

もしWinampが上記記事で期待されているように”その煩わしさを解消するワンストップ型のアプリ/サービスになる”とすれば、Winampの復活を応援せざるを得ない。

まあ、まだ発表があったというだけで詳しくは全くわからないのだが、続報に来たいということで。

 

Winampの思い出を語ろう。こっちが本題だった。

 

Winampは1997年に発表されたソフトだと先程言ったが、何を隠そう、というか隠すつもりもないのだが私の生まれ年も1997年である。

つまり、最もユーザーに支持されていたWinampの黄金期はちょうど私が保育園で友人の井上くんと、パチンコ屋の広告から水着美女を切り取ってスクラップする「えっちえっちクラブ」を結成していた頃の話だ。なにそれ?

 

そんな私が中学生になると、いよいよPCの自作に手を出すことになる。自らの手で収集した格安ジャンクPCパーツを集めて完成させたPC。更になけなしの小遣いで玄人志向というメーカーの音声用パーツを買い、オヤジのミニコンポを勝手に自室に持ち込み、PC内に保存したニコニコ動画からDLした(真似しないでね!)ボーカロイドの楽曲を夜な夜な再生していた。

 

ボロボロのクソゴミ性能だったけれど当時の私は「できるだけお金をかけずに性能を良くする」ということに全身全霊をかけていた。というか、それが自作の醍醐味でもあったことだしね。

 

そんな貧乏精神をもちつつ、「もっと高音質で聴きたい」と思ったのが私のPCオーディオの、加えては私の人生を大きく揺るがすオーディオ界への入口になったのである。

Winampフリーソフトであった。PCで音楽を聞こうとしてもどうしてもWindowsのプリインストールソフトではクソカスのゴミゴミだったので耐えられなかった。

当時はすでに懐かしのipod nanoを持っていたのでiTunesでも良かったのだが、インターネットを調べているうちに「音楽再生ソフトの種類で音質が変わる」という情報にぶち当たった。

これに関してはもはやオカルトと言っても過言ではない世界の問題でもありつつ、しかし中学生の私にとっては「少しでも音質を良くしたい」という欲求にかられてオカルト沼に入り込んでいくのだった。

 

とはいってもWinampの音質が良いのには勿論オカルトではなく仕組み的な理由がある。

スマートフォンを利用していると複数のアプリから同時に音が出ないのを不便に思ったことがないだろうか。音楽を聞いたままYoutubeの動画を見ることが出来なかったり。

Windowsで音を再生しようとする際には、複数個のソフトウェアが再生しようと試みる音源を一旦OS側で全て受け取り、同時再生できるように処理を行うことによって複数の音源を再生している。逆に、そのような処理を行っていないOSでは複数のソフトから同時に音を出すことが出来ないのだ。

 

そんな、一見すると便利なWindowsの機能だが実はこの機能によってWindowsで再生できる音楽は音質が劣化してしまう。

それを回避できるものがWinampプラグインに存在するのだ。

まあ、現在ではほとんどの音楽再生ソフトで当然のように搭載されている機能だが、当時の私はこのような「高音質化プラグイン」、そして自分の自在に組み替えられるスキンの多様さに心惹かれWinampを使用していた。

 

ただし、次第にPCゲームにのめり込むほどにより軽量な音楽再生ソフトを求めはじめ、Winampから乗り換えてしまうのだが…

 

まあ、何はともあれWinampというソフトの存在が、生まれて初めて「音質」というのを考える切っ掛けとなったのは事実だ。現在ではオイクラ万円なのか口に出して言えない機器がゴロゴロ並んでいる貧乏学生の6畳間を住処としているので、そんな私にとってはWinamp復活というのはとても懐かしく、そして期待できるニュースだったのでした。

劇場版「フリクリ プログレ」各話解説と感想と考察【ネタバレあり】

公開から1週間も経ってしまったけれど、プログレ見てきました。

オルタナに次ぐ新作フリクリということで、それぞれいろんな解釈を持って接していると思うけれど、とりあえず私自身の備忘録的な意味で解説記事を書いてみる。

 

全然余談だけれど、フリクリってOVA版だと何度も見返すたびに認識が変わることって多々あったから、ファーストインプレッションを残しておくことで2回目、3回目の視聴がもっと楽しめるかなと。モチロンBD予約済みです。

オルタナの感想は以下より。

azayaka-tuchiiro.hatenablog.com

オルタナの解説記事ではOVA版との差異に注目していたけれど、プログレではそれよりも各キャラクターに視点を当てたほうがわかりやすいと思うので、そういうスタンスで考えていくよ。

ただ、自分なりの見解をまとめたものなので真偽とかそういうのは置いといて、こういう見方もあるのかって感じで見てくださいね。

記事中の画像はいずれもPVから拝借しています。

第1話「サイスタ」

第1話のサブタイトルはサイスタ。タイトル画面にRe:Startって書いてあるとおり再スタートの略かな。関係ないけどOVA2話のサブタイトルは「ファイスタ」だったね。

やっと私は思い出す。私が要するに中学生だったこと。特別なことなんてずっと何もなかったってこと。

 プログレでは毎話ヒドミの夢の話から始まる。第1話では体が少しずつ崩れていって、ロボットになっていく夢。夢の中では迫りくるメディカルメカニカのプラントを打ち砕いていた。

この夢について、観てすぐは正直良くわからなかった。ヒドミの夢はこれから起こることを暗示したなにかであるということばかりは理解できたが。これについては後述する。

 

1話で特筆すべき事柄と言えばOPの映像だろう。主題歌「Spiky Seeds」に乗せて、ハル子がジンユとラハルに分裂するシーンが描かれている。

そもそもプログレの中でのハル子の立ち位置ってどうなってるの??というのは事前情報の中でも気になっていたことだった。ラハルは見た目こそはハル子と同一であるが声優は林原めぐみになっているし、髪の色も若干違うし。

OP映像では、恐らくナオ太と別れた後のハル子の姿が描かれていた。というのも、OP映像に登場したハル子はツインギターを持っていたからだ。

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OVAでのラストシーン

このツインギター(片方はベースだけど便宜上)はナオ太が4話で使ったフライングVと、5話でカンチが使ったアトムスクギブソンEB-0、それをナオ太が6話で海賊化した際に一緒に使った際に出来たものだ。ハル子は自分が持っていたRickenbackerのベースをナオ太のもとに置いて、代わりにこのツインギターを持ってアトムスクを追う旅に出た。

 

で、ハル子が分裂してラハルとジンユに分かれる際には、そのツインギターも同じように分裂した。プログレ本編中ではそれぞれラハルとジンユが使うギターは違う。

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PVから拝借した画像なのでわかりづらいが、ラハルはアトムスクのEB-0を使用している。そして、ジンユはと言うと…

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フライングVではない。このギターは恐らくジャズマスターと呼ばれるタイプのギターだ。

OP映像中で注目するポイントは、ハルコとジンユが宇宙空間のデブリの中に例の黄色いベスパを置いていったこと、そしてそのベスパにフライングVが立てかけてあったことだ。ボディはベスパに隠れていたがヘッドの形状からして恐らくフライングVだったはずだ。

違いました。断定していてはずかちい

ここで、ラハルがEB-0を使用していることと、ジンユがフライングVを置いてジャズマスターを使用していることというのは、キャラクターの性格を表す1つのポイントであるように私は思う。

 

ラハルはプログレ本編中に置いて、一見したところでは見た目も相まってOVAのハル子と同じように描かれているようにも感じられる。が、やはりそれには欠けている部分がある。視聴しているときに「こんなのハル子さんじゃない!」と感じさせるポイントは意図的に作られていたように感じる。

例えばOVAでは表向きは自分本位で好き勝手なことをしつつも、6話では「どこに行ってたんだよ、急に居なくなってさあ」と抱きついたナオ太をなにか言いたげな顔で慰めてやったり、ナオ太の家出に付き合ったり、オルタナではカナにちょっかいを出したりとよく考えれば人情味というか、人間らしさのようなものが見られた。

プログレのラハルはそんなこれまでのハル子のうち、わかりやすく自分本位な面、もっと言えばアトムスクへの執着から周りのことをめちゃくちゃにしても構わない、というようなわかりやすくヒロイックな部分だけを切り取って作られたキャラクターのように思える。

その結果これまでのハル子とラハルは同じような別人という扱いで登場し、現に見ている人にどこか違和感を植え付ける存在となった。

 

そう考えればジンユは、ラハルと対比してハル子の人間的な部分を切り取って作られたキャラクターであるということだろうか。

メタ的に考えれば、視聴者が考えるハル子をわかりやすくモデリングした結果、見た目や声、破天荒な行動にハル子の姿が現れているのがラハル。

対して、一見すると表に現れないハル子の人間的な部分をモデリングした結果、見た目や声は全く別人だが家政婦という立ち位置などにハル子の姿が現れているのがジンユということだ。

 

このようにして形作られたジンユがナオ太のフライングVを使っていないことは割と理解できることなのではないだろうか。後の話になるが第5話「フルプラ」で、ジンユのバットで立ち向かう井出に対してラハルが「自分のバットで勝負しなきゃ~」と言うとおり、ナオ太が"ハル子"に託した自分のギターを"ジンユ"が使うわけにはいかない、みたいな。まあ、これに関しては完全に憶測だけれども。

 

OP映像だけでめちゃくちゃ長くなってしまったが、まあ第1話本編ではそんな特筆すべきこともないだろう。強いてあげればプログレでは強力なN.O.を持っているのがこれまでのシリーズと違いヒドミと井出の2人もいるということだろうか。

またしても余談だけど、OPでカナが出てきたの嬉しかったな。モチロン、ナオ太やマミ美の姿が描かれていたのもそうだったけど、繋がってるんだなって感じがして。

第2話「フリハニ」

第2話のサブタイトルはフリハニ。ジンユとラハルの戦闘シーンで使われたのが「Freebee Honey」だったからなのかな?

第2話では井出がメインに語られている。というか、フリクリで男性キャラクターが魅力的に描かれているというのは珍しいな。オルタナではカナが佐々木に惚れてたけどそんなかっこいいキャラでもなかったし。OVAのかっこいい枠はカンチだったし。

貧乏ながら自分で働きお金を稼いで、ありえないような事態に巻き込まれてもアタフタするんじゃなくヒドミを守るために躍起になったり、ある意味わかりやすく魅力的に描かれているキャラクターだと思う。井出の存在によってこの物語はボーイミーツガール的な側面をもつことになった。

井出がこれ程までに魅力的に描かれている理由は、今回ハル子(ラハル)がヒーロー的な役回りを放棄しているからだと思う。これについては第3話の解説で詳しく話そう。

 

2話の見どころと言えばなんといっても戦闘シーン。正直言ってたまらなかったね。私はロボットアニメが好きなのだが、2話では明らかにオマージュされているシーンがいくつか見られた。

ジンユの乗っていた車、ベルモアが変形して人形になるのなんてトランスフォーマーか?と思ったらデザイン的には(逆関節とか!)マクロスに出てくるバルキリーだし、かと思ったらエルメスのビットみたいなものを使ったり。

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分かりづらいんだけど、変形したベルモアがミサイルを発射するシーンあるじゃないですか。あのときのベルモアの装備って明らかにバルキリーのスーパーパックだったし、ぐるぐる回りながらミサイル撃つシーンとか「愛・おぼえていますか」のフォッカーのシーンだし、ミサイルの動きも板野サーカス意識してたし。

正直ミサイル作画が大好きな私にとっては、フリクリでミサイルが見られるなんて!と感動したシーンでありました。パンフレット買った人は、この画像とベルモアの変形後の画像を見比べてみてほしい。

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VF-1 ロイ・フォッカースペシャル スーパーパック

そういう意味で行ったら井出の名前もイデオンから持ってきてるのかなとか勘ぐっちゃうよね。

ところで、1話で井出とヒドミを襲ったメカが2話でまたしても登場した。どこに行ったのかと思ったら学童の交通整備をしていたけれど、行方不明になったメカが緑のおばさんになるのってOVAのカンチ然りなんか通例でもあるの??

第3話「ミズキリ」

第1話、第2話と、ヒドミと井出にスポットを当てつつなんとなく進んでいた物語が、第3話以降では少し違った切り口で描かれるようになる。

具体的には群像劇のような、それぞれのキャラクターの行動がバラバラに描かれるといったものだ。ジンユは埋められ、ヒドミはラハルに拉致られ、井出はヒドミを追いかけ、森くんはレンカノのアイコを気にかけ、マルコは森くんを追いかけ事の真相を知ってしまい、ラハルは自分の目的のために突っ走る…といったような。

このような描き方はOVAオルタナではあり得なかった。なぜなら、ハル子という絶対的なストーリーキングが居たからだ。ハル子不在の今作だからこそ出来た描き方だ。

 

印象的なシーンで言えば、3話の最初にラハルが日焼け止めを塗ってくれと頼むが、それに答えたものは結局誰も居なく、結果的にジンユがサンオイルを塗りたくるというシーンが有る。

1話の解説で私は何度か、ラハルに対する違和感について語ったが、これはその中でも特にそれが感じられるシーンだ。OVAオルタナのハル子のカリスマ性ならこんなモブに無視されるようなことはなかっただろう。

今作でラハルは意図的にハル子と区別して描かれているというのは前述したとおりだ。

ラハルは見た目ばかりはハル子そのものだが、例えばメカヒドミに油断してぶっ飛ばされてボロボロになったり、日焼け止め塗ってほしいのを無視されたり、ハル子と同じようなベスパに乗りつつナンバープレートが違っていたりと言ってしまえば偽物のように描かれている。

声が新谷さんではなく林原さんなのも、「これはハル子であってハル子ではない。偽物である」といった感を強めるための起用なのだと思う。(これに関して、海外版ではOVAと同じ声優が起用されているらしいが、ただ単にハル子声を真似できる人が居なかっただけだろう)

 

 で、ラハルがそのような存在であるからこそ今作では井出がヒドミを支える存在となったのだろう。ヒドミを探し回り、結局ラハルとジンユのいざこざに巻き込まれつつもヒドミとの距離が近づいていく。

 

ついでに、3話でアイコちゃん初登場&森くんとアイコちゃんの関係が顕になるわけだが、結局最後にこの2人も重要な役割を担うことになる、というあたりに、先程も言った群像劇的な、バタフライ・エフェクトが重なり続けた結果にエンディングが完成するみたいな集約がされる。

 

ところで、1話の学校のシーンで学級新聞にメディカルメカニカが海上に進出という記事があったので出てくるかと思ったけど、よくわかんなかった。ハル子がヒドミを拉致った施設ってメディカルメカニカのプラントっぽかったけれどどうなんだろうね?

第4話「ラリルレ」

 4話、ラリルレ。プログレのサブタイトルってもしかしてあんまり意味ないな??OVAオルタナではなんとなく内容とリンクさせてたけど。5話のサブタイトル「フルプラ」も挿入歌の「Fool on Planet」から持ってきてるだけっぽいし。

まあ、私が理解してないだけかもしれないが

 

4話ではこれまでのクーデレ女子ヒドミちゃんとは打って変わってやたらハイテンションになってしまったヒドミちゃん。絵柄的には、パタリロっぽいというか、アラレちゃんっぽいというか。

ヒドミの性格が変わったのはメディカルメカニカのプラントから発信されている怪電波によるものだったらしい。このときのヒドミの性格は、2話、3話の夢で出てきた性格みたいだけれど…。

正直、私の考えるところだと夢ってあんまり意味を考えても仕方ないんじゃないかなーと。1話の夢では体が崩れつつメカヒドミに変形していたけれど結局6話では井出を助けるために自発的にメカヒドミの姿になっていたし、不吉な予感を漂わせる夢と違ってこの物語はハッピーエンドで終わっているし。

そう考えれば夢なんて所詮ただの夢みたいなスタンスで、あまり考えすぎるのもアレかなーって。

 

とはいえ、性格が変わってしまった理由はなにかあるはずだ、ということで少し考えてみる。ヒドミの性格が変わったのは3話で井出がピンチに際してヘッドフォンが食い込んで以降だ。

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このヘッドフォンはジンユの説明によるとどうやらN.O.の力を制御するものらしい。OVAで言えばアマラオの眉毛がそれに近かったガジェットになるのかな?で、このヘッドフォンをヒドミが付けているのは「お父さんに貰ったから」だという。このお父さんについては最終話で「メディカルメカニカのプラントに向かって、それ以降帰ってこない」ことがわかった。

N.O.が活性化するための条件に精神的に大きな衝撃があったときっていうのはこれまでの事からなんとなくわかることだし、特にヒドミの場合は激しく動揺しているときにヘッドフォンが赤く光っていたことからヘッドフォンが機能している描写がなされている。

ここでヒドミの性格が変わったこと、そしてその理由がプラントから発せられる怪電波をヘッドフォンが受信しているためであることをもう1度考えてみると、完全な憶測になってしまうがメディカルメカニカ内のヒドミの父が、N.O.が活性化しすぎてしまうヒドミを守るために別人格にした、みたいなことも考えられる。自己防衛みたいな。

というか、それぐらいしか怪電波の理由が思いつかない。プラント中に父が居るとすれば、暗にヒドミの父は生きている=いつかは帰ってくることを示しているというのを示しているのかもしれない。まぁ、OVAでハル子が「人が働くとこじゃないよ」と言っていたこともあるメディカルメカニカのプラントに、「向かった」とだけ表現されたヒドミの父がどうなったのかなんていうのは視聴者の知る由もないのだが。

 

ほかに気になったことと言えば、4話にしてカンチが登場したことだろう

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よく見たらPVでも登場していたカンチ

PV見返したらちゃんと登場していた。劇場で見ていた私はそれに気づいてなかったので出ちゃうの!?!?とびっくりしたけれどね。

OVAのラストではカンチはそのままナオ太の家に住み続けることとなっている。そのはずのカンチがなぜここにいるか。もっといえば最終話まで観た人ならもうわかっていると思うけどハル子のベースも入国管理局の遺失物保管衛生の中にあった。

ちょうど上の画像はマスラオとチャンプおじさんことアイパッチが会議をしているシーンのものだが、マスラオも最後の最後で「お父さんそっくりの眉毛」という台詞からOVAに登場したアマラオの息子であることが示唆されている。

で、あるとするなら時系列で考えるとどうやらプログレの物語はOVAから数十年後程度の話になるということがわかる。

そう考えればカンチがかつてアトムスクの力を宿していたメカだということもマスラオたちは解ってて然りだと思うし、そうであれば捕らえている理由も自明だ。加えて、カンチがナオ太の家からハルコのベースを持って飛び出して何らかの形で入国管理局に捕まったと考えれば、ハルコのベースが入国管理局の施設内にあるというのも自然かな?

まあ、「なぜカンチが捕まっているのか」というのは「なぜかわからんけどハルコが分裂した」というのが前提になっている今作では愚問といえるのかもしれないなぁ。そういうもの、ってことで捉える他ないし。

ところでマスラオのお母さんって誰だ…?キツルバミ君か…?

 

4話ではついに海賊化っぽくなったジンユとラハルの戦闘が見られる。これはどうやら海賊化とは違うらしいが、少なくともハル子(ジンユとラハル)は以前アトムスクの力を1度は手に入れた、ないし使えるようになっていたことがわかる。これについてはOP以降何度かそういう描写があったしね。

で、アイコの持っていた植木鉢はカンチの中に残留していたアトムスクの力を使って作ったものであることがマスラオによって語られていたが、そう考えればジンユとラハルが不完全ながら海賊化をすることが出来た理由も、そのようにアトムスクの力の一部を使っているということなのかもしれない。

 

因みにマルコがタケノコを出したのはヒドミとぶつかってN.O.が移ったからだ。これはOVA3話のニナモリにも同じようなことがあったね。

 

ところで、今回始めてメディカルメカニカのプラント内部が明かされたわけだが、中枢部はなんだか脳みそのような模様になっていたね。これが何かを示唆するものなのか…。

第5話「フルプラ」

 5話。印象的な作画だったね。パンフレットのインタビューを見ればそれについても語られているけれど、荒井監督の「『フリクリ』の魅力には、のいろんな表現のアプローチ側面もある」という言葉にめちゃくちゃ同意です。気になる方はパンフレット買おうね!!!!!

 

5話では、4話でジンユを取り込んだラハルがお腹を膨らませている姿を見せていた。なぜだ??

4話では、「ジンユを取り込んで同化する=食べる」というある意味安易な表現を使っていた。そう考えれば5話でこのような状態になっているのも「消化できていない=上手く取り込めていない」と考えることが出来るだろう。

それはやっぱり声にも現れていて、前述したとおり今作ではハル子とラハルを明確に区別する要素として声優の違いがある。ラハルは見た目こそハル子に似ているが別キャラクターという扱いであること。ジンユを取り込んだことで髪の色はピンク色に変化し、見た目的な違いは無くなった。それでも声は新谷さんでなく林原さんだ。

結局のところジンユを取り込もうと思っても失敗して、「ハル子」には成れていないということがわかるのがあの姿だ。

 

さて、5話では遊園地の変形のためにカップルを集客してその微量なN.O.を集めることでエネルギーにしていた。これまでN.Oがどのような条件で活性化していたのかというのはあまり考えていなかったが、恋愛的な要素でN.O.が発動していたことは何度かあった。

OVAでは1話でマミ美にタスクがアメリカで彼女が出来たことを話た結果苦しむマミ美を見て、あるいは2話でカンチにキスしようとするマミ美を見てナオ太のN.O.が発動していたし、オルタナでハル子が、カナの佐々木への恋心を利用しN.O.を発動させようとしていたこともあった。

勿論、それ以外で発動していたことも多かったが、恋愛すると頭が空っぽになるってことがN.O.につながるのかな。

今気づいたことなんだけれど、OVAでナオ太の頭の中が空っぽになっていた。もしかしたらそれはつまり頭が空っぽになるような事象がN.O.を引き起こす要因になりうるというのを暗示した表現なのかもしれない。完全に蛇足だけど、何も考えられないくらい熱中したら普通じゃありえないものが生まれる、というメッセージ性すら感じ取れるね。

第6話「アワラン」

6話は正直言って情報量多すぎて、というか6話のラスト数分を見た上でもう1度全編見直さないと理解できない事柄がいくつもあった。

 

6話ではヒドミとラハルの戦闘シーンが主だった。プログレではこれまでに増して戦闘描写が多くて、男の子な私としてはとっても燃えましたね。燃えたと言えば、ヒドミが井出の学ランを着て戦っていたのもかっこよかったね!!

 

5話のラストから6話にかけてついにアトムスクが登場した。ハル子がヒドミと戦っているのはヒドミのN.O.を使ってアトムスクを捕まえるためだ。戦う二人の足場にはどんどん鳥かごが形成されていった。

一方メディカルメカニカのプラント(縦)はアトムスクを捕まえるためにモチを発射していた。わかると思うけれど、鳥獣を捕獲するのに使うトリモチっていう禁止猟具が元ネタね。

と、言う感じで、ラハルにしろメディカルメカニカにしろ完全にアトムスクを鳥扱いした方法で捕まえようとしている。

 

OVAでは、アマラオの回想からアトムスクは人間であるというような描写がなされている。

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トムスク(アマラオの想像の姿)

これに関して鶴巻監督は「アマラオはアトムスクの姿を知らないから、ハル子がアトムスクのことを男だと思って、惚れてると思っている」と語っている。

OVAではこのように視聴者に対してアトムスクが人間であるという考えをもたせた上で、実際アトムスクは人の形ではなく、鳥のような姿で現れていた。

プログレではわかりやすくここまでトリモチや鳥かごで鳥扱いしていて、結局鳥の姿で現れるのだが、観た人なら分かる通り最後にラハルはアトムスクに対して惚れているような描写がなされる。アトムスク特有の赤い人型が現れ、それに泣きつくラハル。結局その人型はジンユだったわけだが、プログレではOVAとは逆に、「これまで人かと思ってたら鳥だと思ってたアトムスクがやっぱり人だった」という展開を見せていた。

ラハルとジンユがアトムスクを追っている理由も4話のメディカルメカニカ内部での口論でなんとなく発していたが、「彼は振り向かない」だとか言ってもどうせ鳥でしょ~??とか思っていた私はまんまと制作陣の思い通りということなのかな??

 

プログレで最もよくわからないキャラクターであるアイコはまさかの活躍をしたよね。アイコ関連については正直全然ついていけなかった。

トムスクの力を宿した植木鉢を使って、入国管理局の遺失物保管衛星を引き寄せたんだっけ??マスラオが「できればお前を使いたくなかった」と言っていたことやその後の働きからどうやらアイコが普通の人間じゃないというのはわかるけれど、入国管理局が関係しているということは宇宙人であるというのは有り得る話だ。というか普通の人間はかぼちゃの中から生まれません。

 

で、そんなアイコに負けず劣らず人外的な働きをしたのがヒドミだ。N.O.を使って体の一部をメカに変えてハル子と戦ったり、かと思えば1話で出てきた白いメカヒドミに姿を変え共闘したり。とはいえ、ヒドミは普通の人間であるというのは確かだ。

というか、「やっと私は思い出す。私が要するに中学生だったこと。」とか言ったり、夢の中で同級生と喰いあったり、体が崩れメカになりプラントをぶっ飛ばしたりと、現実の描写以外の部分ではめちゃくちゃ人外っぽさを醸し出しているが、それはあくまでモノローグや夢の中での話だ。

現実では体がどんどん崩れ去ったりするといったことはなかったし、とはいえメカヒドミになるがそれもN.O.の力であるというのは確かだ。

こんな感じで散々ヒドミの正体について匂わせるというフリを重ね続けた結果、言ってしまえばありきたりなエンディングが際立つってもんじゃないんですか。

 

プログレは本当に出来事と情報量が多く、なんだかごちゃごちゃしていたけれどそれをシンプルに纏めるEDになったんじゃないかなと思う。ハル子はアトムスクを追う旅を続け、結局最後は井出とヒドミの距離が少し近づくというボーイミーツガール的な終幕にたどり着いた。

 

 

フリクリの18年ぶりの復活ということでずっと楽しみにしていたけれど、オルタナプログレも私の中で大切な作品になりそうです。とはいえまだまだ何度も見返して味がなくなるまで楽しみつもりですが、皆さんはどうでしたか??

どうやらトップをねらえ3!の噂もありますし、いつかはフリクリのさらなる続編が制作されるかもしれません。不朽の名作のさらなる進展を楽しみにしていますよ。

 

BANANA FISHのED、King Gnuが今注目のバンドって知ってました? - アニメでハマる音楽【5】

いつの間にか夏アニメも終わりにかかっている頃だけれど、みなさんいかがお過ごしですか。アニメで季節感感じるのって、風流だねぇ。

 

アニメでハマる音楽。アニメと音楽を結びつけるとどちらも楽しめてお得だよ、っていうススメです。
 

 夏アニメの中でも注目作で、事実めちゃくちゃおもしろかったBANANA FISH。そのEDを歌っているKing Gnuのお話をしようと思う。

 BANANA FISHについて

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BANANA FISHについて下手に語るとアニメで知ったニワカな私に対して不信感を覚える方もいると思うので、調べたことだけを書きますよ。

 

原作は吉田秋生氏による漫画であり、「別冊少女コミック」という少女誌で1985年~1994年まで連載されていた作品だ。あらすじは以下の通り

1973年ベトナム戦争の最中、アメリカ軍兵士グリフィン・カーレンリースが突然、同じ分隊の兵士たちに自動小銃を乱射して死傷させる。その場に居合わせたマックス・ロボは彼の足を狙撃し取り押さえる。そのとき、グリフィンは「バナナ・フィッシュ」という謎の言葉をつぶやく。

-wikipediaより引用

さて、連載開始が1985年とずいぶん古い漫画だなと思う人もいるかもしれないが、アニメではそのへんを一新して、スマホも登場する現代の物語として作られている。

漫画ではベトナム戦争が舞台になっていたらしいが、アニメでは中東紛争に置き換わっていて、視聴者からしたら違和感なく見ることが出来るようになっている。

 

舞台はアメリカ。キャラクターやセリフ回しも洋画風に作りこんであり、小気味よく進む会話劇や銃撃戦を含む過激なアクションなども魅力だ。主人公のアッシュ(上の画像の金髪)は少年ギャングをまとめているボスで、BANANA FISHというキーワードをもとにマフィアと対立を深めていく。

そんなアッシュの相棒となるのが、マフィアに襲撃されたときにたまたま居合わせてしまった日本人、奥村英二(こと、えいちゃん)だ。

普段人を信用しないアッシュがえいちゃんに信頼を寄せ、えいちゃんもその信頼に答えていく。シンプルにバディものが好きな人にはおすすめだ。

 

アメリカが舞台になっているだけあって私のようないち日本人視聴者には異世界のような感じがしてしまうが、世界観が綿密に組み立てられていて楽しんで見ることが出来る。勿論、本当のアメリカを知っている人ならもっと楽しめるんじゃないかな。

原作がとても人気な作品であるのに加えて、作画なども申し分ない。ところどころエグイ描写があって、これ本当にノイタミナ枠で地上波放送してんの!?と思ってしまうこともあるが、そういう生々しいところも含めてリアルというか、作品に立体感を与えてくれる要素といえる。

 

因みに、Amazon primeで視聴できるので気になった方は是非見てほしい。

King Gnuについて

 King Gnuは4人組のバンドで、その音楽性はラップ調のミクスチャーロックを掲げつつも、新しい更に現代風のグルーヴが特徴的だ。

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代表曲と言ってもいいVinyl。正直言って、何系とか分けることが私には出来ない。独特の世界観が多くの音楽ファンを虜にして、ライブを開けば即ソールド、カルチャー誌にも取り上げられ、SpotifyではDJダイノジのプレイリストに鎮座していたこともあったな。

 

King Gnu「Tokyo Rendez-Vous」インタビュー|鬼才集団が提示する新たな歌モノのスタイル (2/3) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

音楽ナタリーのインタビューでは、「日本のリスナーに音楽を届けてるのに、洋楽っぽいとか言われてもしょうがないと思ってるので」と発言していて、洋楽のフォロワーとして音楽を奏でることに対して1歩下がった視点を持っているらしい。

確かにKing Gnuの楽曲は2000年代~のジャパニーズ・レゲエミュージックの雰囲気が感じられるので、これがJ-popか、邦楽か、と納得してしまった。

 

活動開始が2015年、フルアルバムが2017年に発売されて、私はそれからの経歴しか知らないが破竹の勢いで勢力を伸ばしている。

そして、新曲prayer XBANANA FISHのED曲として発表された。

BANANA FISHKing Gnu

BANANA FISHの、マフィアやギャングの絡んだ裏の世界の雰囲気に合わせる形でキャスティングされたのだろうか。

www.youtube.com

BANANA FISHは必ずしも痛快奇天烈なアクションアニメではなく、主人公のアッシュの重く暗いバックボーンストーリーと、それに向き合い、戦っていく悲劇的な物語と言っても良い。

prayer Xはそんな世界観に合っていて、特にアッシュの、自由になれずにもがいている姿とリンクする歌詞だ。

自分の居場所でさえも
見失っているの
怒りに飲まれて
光に憧れて
今日も空を眺めるのでしょう

ソース・ https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/king-gnu/prayer-x/

 アッシュが怒りに任せて復讐するのか、あるいはえいちゃんという光の世界の住民を見て自分も自由になろうとする道を選ぶのか。

原作未読の私にはわからないが、BANANA FISHのストーリー、世界観にマッチした楽曲だと思う。

 

あとね、アニメ好き的に言えばEDの曲のイントロが本編の終盤に流れだす演出めちゃくちゃ好きなのでポイント高いです。ああ、今週もこれでおしまいか…。みたいな悲しさがね。いいよね。