ヴァイオレット・エヴァーガーデン最終話 私なりの感想&考察
こちらの画像は公式サイトで配布されている壁紙です。良すぎない?早速変えました。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン最終話、めっちゃ良かったですね。
私が今期のアニメで一番好きだったのはヴァイオレットです。”よりもい”とかも良かったですが、ヴァイオレットに関しては毎週涙腺をぶん殴ってくるのでとても心に刺さりました。
このブログでは9話だけ感想記事を上げましたが、今回は折角最終回がめちゃくちゃ最高だったので11話と12話についての感想をまとめて書こうと思います。
まず11話から順番に見ていきましょう。
11話でまず印象的だったのが、ブーゲンビリア(兄)ことディートフリート大佐。9話などでも見られたのが、未だヴァイオレットに関してわだかまりがあるような様子。
ディートフリートは弟のギルベルトが死んでしまった原因はヴァイオレットがギルベルトを守れなかったことであると考えている発言をしていた。もちろんそれはあくまで口から出た言葉であって、本当にそう考えているわけではないと思うけど。
ディートフリートにとって弟に預けたヴァイオレットという少女はあくまで道具としての存在だったが、彼は幼い少女を扱うことが出来なかったからギルベルトに預けたのかもしれない。11話の最初に陸軍との会話でディートフリートは、
「厄介事は、弟が居ないのなら兄に頼め…か。」
と言っていますが、それで言えばディートフリート自身もヴァイオレットという厄介事を弟に押し付けてしまった過去があることになりますね。
11話の中で、ディートフリートは何度もヴァイオレットに対して
「やはり命令がほしいのか?」「道具じゃないなら何だと言うんだ…!」
などと、ヴァイオレットに道具であることを認めさせようとする発言があります。
ヴァイオレットが道具であることを自分の中で認めさせないと、ギルベルトが死んでしまった責任を押し付けることが出来ないのでしょう。それに関してはこちらでも少し触れました。
弟が死んだ責任を生身の少女に押し付けることが出来ないそのような姿を見ると、ディートフリートを全くの悪者にするのは間違ったことに思えます。
列車の上でヴァイオレットを助けた後、ディートフリートは遂に、ギルベルトを守れなかったことについてヴァイオレットを糾弾します。「お前がギルを殺したんだ。だからお前も死んでしまえ!早く死ねぇ!」と。
そこで、ヴァイオレットの私も守りたかったという叫びを聞きます。
…このヴァイオレット・エヴァーガーデンという物語に登場する人物はそれぞれに自らの正義が有り、物語上で悪役として描かれていてもそれぞれ違った信念が見られます。そしてそれらは”戦争”という面から映し出されているものです。この物語の中でヴァイオレットがもともと戦争のための道具として扱われていたという過去は、単純なキャラや世界観のバックボーンというだけではなく、戦争をテーマにすることでそれぞれの人物の思想を描き出す効果があります。
ディートフリートもそうですし、11話で言えば列車をジャックしたガルダリク軍の残党にもそうでしょう。
”自国とライデンとの和平交渉を妨害する”という、字面だけで見れば単純な悪党ですが、その裏には自国の軍部がライデンにへつらい、戦死した同胞に対して心無い扱いをしていることに対する反発によるものであったと語られています。
そういえば9話の感想記事で、私がこのアニメで好きなのがどんだけこじれても最後には救いがある安心感があるって所なんですよね。なんてことを言いましたがまさにこれです。この物語には純粋な悪党が一人も登場しない。だから良い。
美麗な作画の裏には単純な勧善懲悪とは行かない厚みのある物語があります。
さて、12話。
列車が到着し、和平交渉が結ばれ人々を見て、ヴァイオレットは
「終わりました…終わったのに…」
と言います。11話で残党の親玉が「終わったものか!」と言っていましたがその事を反芻しているのでしょう。
そのまま仕事の場面へ。「戦争は終わったのに…息子は帰ってこない。」
というお客さんの台詞。
12話で一番印象に残ったシーンが、最期の戦いの前にヴァイオレットとギルベルトが会話したシーン。たしか8話あたりでも出てきたシーンですね。
このときは
ヴァイオレット「処分される結果、ホッジンズ中佐の元へ移されるのでしょうか?」
ギルベルト「君は悪くない…この話はまた今度にしよう」
となっていたのですが、どうやらこの間にもっと会話があったようです。
本当はギルベルトがヴァイオレットに対して怒鳴りつけるシーンがあります。
「そんな顔ができるんじゃないか!今私のことが怖いだろう!急に怒鳴られて嫌だろう!理不尽に言われて腹が立つだろう!」
と。
そしてヴァイオレットは涙を流す。
8話のなかでもこのシーンは、幼いヴァイオレットがギルベルトに対して子供らしさのようなわがままを見せた数少ないシーンとして印象に残っていたのですが、12話で見たヴァイオレットとギルベルトの様な対話はまるで親子のそれみたいな。
皆さんは子供の頃こういう風に怒鳴られたりすることってありませんでしたか?それが愛情ゆえであっても子供からしたら不思議と涙が出てしまうものです。そんなリアルさがあるシーンです。
そして、ディートフリートに連れられてブーゲンビリア邸へ赴くヴァイオレット。ブーゲンビリア(母)と会い、ギルベルトについての話をする。
ヴァイオレットが何を感じ取ったのか。ギルベルトの母のどの様な言葉に涙をこぼしたのか…見ればわかりますね。”愛してる”というのがどのようなことだったのか。ヴァイオレットは見つけられたのでしょう。
そしてディートフリートは帰りがけの言葉「あいつ(ギルベルト)のぶんも生きろ。生きて生きて、そして死ね。これが、俺からの最後の命令だ」。列車の上で掛けた言葉とは全く違う意味で紡がれる「死ね」という言葉。
11話~12話にかけて、ディートフリートのヴァイオレットに対するわだかまりは消えたのでしょう。
ヴァイオレットはギルベルトへの手紙を遂に書き終えます。
これまでの話で出てきた場所が次々と映し出されるところで思い出ボムが…!!!
そんでヴァイオレットの涙でまたウワァァ-----。゚(゚´Д`゚)゚。-----ン!!!!
すみれをバックに一粒の雫が落ちて…綺麗すぎない?
そして最後のシーン。
なにかを見つけたみたいな表情ですね。
これについてはもう、何を言うのも野暮ってやつです。
「お客様がお望みならどこでも駆けつけます。自動手記人形サービス、ヴァイオレット・エヴァーガーデンです。」
いやぁーいいアニメでしたねえ!流石京アニというか。
Netflixでの配信などの試みも行われた作品でしたが、案の定最高でした。。。
私としてはヴァイオレットほど毎話涙腺を刺激してくるアニメもこれまで無かったのでちょっと自分自身驚きも有ります笑