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アニおと!!見聞録~アニメと音楽の個人ブログ~

アニメと音楽に関する個人ブログです。アニメやAV機器のレビューをします。

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漫画村を嫌って漫画喫茶で本を読むことに正義なんて無い

漫画喫茶に行ってきた。

 

東海地方に多くチェーンを構える亜熱帯という漫画喫茶は、平日の昼間には学生の利用料が半額になるらしい。我が大学の近くにもあるのでいつか行こうと思っていた。

 

今年に入ってからというもの友人たちとの交流がめっきり減ってしまっている。理由はわかっている。去年度までに落としてしまった必修科目を取る必要があるためだ。友人は私と違って真面目なものでまんまと単位を取得している。

というわけで火曜の午前に同級生の友人と別れると次に会うのは金曜の朝になる。花水木と一人の時間だ。一人の時間が増えてしまったので漫画喫茶に行く時間も取れるというわけ。一人の時間バンザイ。

 

漫画村というのをご存知だろうか。ご存知じゃない方はこんな記事読んでいることはないだろうのでご存知のはずだ。

私はあのサイトが嫌いだ。法的な理由を上げてなぜ嫌いかというのを理論立てることもできるかもしれないが、ただ単純に、他人の創作物を作者に一切還元せず利益を得ようという行為に腹が立つからだ。感情的な理由は説明するのが簡単で助かる。

 

漫画村が潰れてしまったという報を聞いて私は漫画喫茶に行くことにした。

なぜ漫画村が潰れるまで行く気が起きなかったのだろう。

まあ、単純に、私の性格なんだと思う。漫画村がはびこっている今時では、友人と漫画の話をすると「どうせ買ってないんだろ、漫画村で読んでるんだろ」と内心で思ってしまうあまりよろしくない思考をしているのが私という人だ。私はもちろん他人からそう思われるのも嫌だ。コンテンツを受け取るにあたってお金を払うということが私の中での自尊心の柱の一つになっている。

 

漫画村が潰れたことによって、漫画喫茶で漫画を読んでも”そう”思われないだろうという言い訳になった。

言い訳、誰に対してだ?もちろん自分に対してだ。

 

そう、「そんなもの、自分に対しての言い訳にしかならないのでは?」

と、思ってしまったのだ。

 

漫画村で漫画を読むことと、漫画喫茶で読むこと。これに何の違いがあるのだろう。利用するかしないかについて善悪を基準にするなら、その善と悪の基準を考えなければならない。その答えを挙げるのに私は、自分に対する言い訳以外思いつかなかったのだ。

 

漫画村が嫌厭される理由は山ほどある。

その一つであり、最もわかり易い例は、「作者に金銭が還元されないこと」だろう。

漫画村はネット上にアップロードされた漫画を公開し、そこに貼られた広告から広告収入を得たり、噂によると利用者の端末を使って仮想通貨のマイニングをすることによって収入を得ているらしい。

そこに作者へ金銭的な還元などは存在しない。

では、漫画喫茶は?

利用者から金銭を受け取ることで、店内に置かれている漫画を読むことができる。

漫画村と違ってネット上で得る収入ではないというだけでずいぶん分かりやすい仕組みになった。だが、漫画村と同じように、そこに作者へ金銭的な還元などは存在しない。

いや、漫画喫茶は店舗に備え付けるために漫画を購入している。これは作者への金銭的な還元と言えるだろう。

なんて主張はこの論争において何の役にも立たない。

漫画村を含む違法アップロードされた作品群だって最初にアップロードするものは購入されたものだ。漫画喫茶だって最初にアップロード=店舗に常備するための購入した印税は、多からずとも作者に入っている。どちらもこの点で大した違いはない。

しかし、漫画喫茶は日本全国に点在し、その店舗数だけ漫画が購入される。それを考えると印税の大きさは漫画村に比べて明らかに漫画喫茶のほうが大きい。なんなら、全国の漫画喫茶の数だけ購入されている分、ある意味では作品/作者に貢献している。

というのもおかしいだろう。

作者からしたら自分の作品が売り物になって他者の懐を肥やしているという事実は変わらないだろう。それが漫画喫茶であれ違法アップロードサイトであれ、実質的にはそれら一つ一つが合わさって多勢となっていることには変わらない。作者にとっては販売数に関する見方だけで言えば漫画村だって多くの漫画喫茶(的な商売形態)のうちの一つであることには変わりがない。

ここでいう漫画村とは、違法アップロード全般の例として挙げたが、アップロード者は単一ではなく複数いるかも知れない。

とすれば、理論的な話にしても、販売数を議題に挙げたときにはどちらも似たり寄ったりなのでは。

そもそも漫画喫茶で取り扱っている本は有名な作品ばかりで、あまり話題になっていないという意味で無名なものが置かれているかどうかは店舗によってまちまちか、あるいはほとんど置かれていないだろう。理由はいくつもあるがすぐに思いつく大きなものは店舗という形態において隅から隅まで読まれない本が置かれていたら非効率的だからだ。限られたスペースで運営するというのでは、余分なスペースは避けたいだろう。

 

それに比べてネット上にアップロードされている本にはスペースという問題はない。いくらでも(どこの国にあるやら知れぬ)サーバーの容量を継ぎ足せばスペーズは広げることができる。だからこそ次々に発売されるコミックスを網羅することなんて簡単だ。

その様な仕組みにあるという前提で、偉そうに「違法アップロードサイトの存在によって書籍出版業界の未来は~」などという論調は簡単に崩れ去る。作者への金銭の還元を話題に上げる以上、それを取り巻く出版業界を例に出すことは自然であるだろう。こういう風にどんどん話の規模を大きくする奴は嫌いだが。まあ、そういう問題でもないのだ。

 

放っておいても何十万冊と売れる人気コミックが漫画喫茶の店舗数の数だけ更に購入されることに比べると、ろくに広告もうてず数千冊~しか売れない無名の漫画がアップロード者の数だけ更に購入されることの方がその作者にとっては重要なことかも知れない。どちらが「出版業界の未来」に貢献しているかなんてわからない。相対数というのはこういうことだ。

そもそも、数によって善悪が別れてしまうというのは議論として破綻しているかも知れないが。善悪という倫理的な価値観においては相対数をその判断基準にすることは、どうなんだろう。本来であれば0か1かの二進数的な判断をした上で利用するか否かを考えるべきなのだろうが、現に私は漫画村を悪とした上で漫画喫茶を利用している。

 

なぜ私はその様な思考になってしまったのか。

簡単なことで、自分が金銭を払っているということが私の中では大きな違いなのだろう。

仕組みを考えれば漫画村であれ漫画喫茶であれ作者が受ける金銭的な恩恵は変わらない。違うのは、私の財布から漫画喫茶という店舗にお金が移動したか、広告収入&マイニングという魔法の力で作られたお金が漫画村に入っているかという違いだけだ。

 

というわけで結局のところ、漫画村を嫌厭しつつ漫画喫茶を使う理由は「自分に対しての言い訳」だけなのだ。

「私はお金を払って漫画を読んでいる。漫画を利用している人はお金を払わずに漫画を読んでいてズルい」などという自己意識だけが、私が漫画村を使わない理由である。

 

実際のところ、一番問題になっている「違法アップロード」が今の漫画村の主張の通り治外法権的な状態にある以上漫画村問題の解決には至らないだろうし、解決したとしても漫画喫茶含むレンタルや中古販売という商売がまかり通っているため、作者への還元まで考えた時の根本的な問題解決には至らないだろう。

 

漫画村を批判する権利は万人に与えられたものだが、思考停止して批判できるほど簡単な問題ではない。「雑誌やコミックスを"購入のみ"でしか読んだことがないものだけ、漫画村に石を投げなさい」という状態になってしまう。

 

 

ところで、漫画喫茶を出るために会計をしようとした時、学生であることを告げると「事前に提示していただかないと割引は出来ません」と言われた。そんな事どこにも書いてないのに、400円で済むところを800円払うことになってしまったのでとても不機嫌だ。

この程度の出費しか出来ない私が、たった400円多く取られてしまったことにご立腹している私が漫画を語ることはおこがましい話だが、実際のところこの様な少数、あるいは少額が集まって作者へ還元されているものなのだろう。

 

漫画村は許せないが、漫画喫茶は利用している。こんな状態である私がどれだけ喚いたところでそこに正義なんて無い。この記事の最初に言ったように”感情的な理由は説明するのが簡単”だが、理論で説明できない問題を批判することの難しさたるや。