「W杯の日本の勝利で掌返しするメディア」を批判するっておかしくない?
先に言っておくけれど私はサッカーなんて全然わからない流行に乗り遅れている大学生だ。ルールも知らない。そもそもただに独り語りなので批判も大いに結構だ。
「オフサイドわからない」とはサッカー知らない人が過去2億回繰り返した言葉だが、私が2億1回目を言おう。オフサイドわからない。
ただ、そんな私でもワールドカップに開催に際して、どうやら監督騒動から前評判は著しくなかったこと、蓋を開けてみたら日本が強豪国相手に辛勝、あるいは「価値ある引き分け」を繰り返し、なかなかの途中成績を収めていること、このまま行けば予選リーグ突破も十分ありえることくらいはわかる。
ところで最近、こんな意見を耳にする
「日本が勝ちを重ねるごとにメディアが手のひら返ししているのはおかしい」
というかこれは実際私の知人の談だ。これを掌返し批判と呼ぼう。
あるいは朝のニュースで真矢みきが同じような内容を発言し、TOKIOの国分太一がサッカーファンを代表して謝ったりしていた。
サッカーが好きなのか嫌いなのかは知らないがとにかく、これまで散々批判してきたのに、結果を出した途端褒めちぎる事に対して苦言を呈すような意見が多く見られる。
私がよくわからないのは、手のひら返しってそんなに悪いことなのか?ということ。
件の知人いわく、「最初からメディアが応援していたらもっと盛り上がっている」とのこと。
まあ、論文にツッコミ入れようってんじゃないし「もっと」ってどのくらいよとは言わないが、私からしたら十分盛り上がっているようにも見えるけど。
こういう発言の裏には、「僕は最初から日本を信じていたけれどね」というようなドヤ顔が見え隠れする。
そもそもの話だが、もとよりメディアというのは物事を盛り上げるためでなく、情報を伝えるためにある。それであれば、「一般的な前評判はあまり高くありません。理由は監督の降板と新監督への期待度の低さからです。」「強豪国相手に大迫が半端ありませんでした」などと伝えている現状は正常ではないだろうか?
こういう意見をネット上で書き込んでいる人は、本当に前評判を信じていなかったのだろうか?
批判する彼らにとっての正義とは、前評判で日本チームを非難していた者を批判すること。
掌返しを批判する事ができるのは掌返しをしていない人だけだ。元よりサッカー日本代表を信じて応援していた者のみが批判をすることが出来る。
という論調なのだろう。
私が居心地の悪さを感じているのは、そんな言ったもん負けみたいなことってある?ということ。勿論中には本当に日本チームを信じていた人も居るだろうが、W杯に関心がある人は絶対前評判のことわかっていた上で自分の意見を発しているものだが、今掌返し批判を行なっている人は、そもそも始まるまでそんなに興味を持っていなかったから前評判について発言していないだけの人なんじゃないだろうか?
結果が伴った姿を見て意見を変えるというのはとても正常なことだ。
掌返しをしない=自分の意見に一貫性がある、というわけではない。
周りを見て意見を変える柔軟な態度もまた一貫性なのだ。
一体どんなメディアが、「前評判で散々批判してきたから、結果を出そうが批判する」ことにするんだろうか。そんなことはありえない。
あるいは、前評判で批判してしまった後ろめたさからサッカーについての発言を控える必要もない。情報を伝えることが仕事だからだ。
知人にはここまでではないが、普段から真面目な話をするような奴ではなかったのでメディア批判が口から出てくるなんて思いもよらなかった、というようなことを言ってやった。
帰ってきた返信は「今こそがメディア批判をするネット社会の時代だ」とのことだ。
意外と理解してくれないのが、ネット上の情報も1次ソースはマスメディアによるものであることだ。彼がyahooニュースか、あるいは2chまとめサイトからそんな思想を持ってきたのか知らないが、彼らはいずれにしても1次ソースを元に会話しているだけだ。
芯を捉えたような事を言っていても、実のところそれ1次ソース以上の情報を持っているものなど彼らの中にはほとんどいないし、ネット上の情報が信用できて、テレビでは放送されないような前評判で溢れかえっているのならば、なら今頃街はtotoBIG長者で溢れていることだろう。
実際はそんなことはない。どのメディアも等しく前評判の低さを語り、どのユーザーも等しく「今年はどうだろうか」と話していた。
そんな中、掌返し批判と言う名の後出しジャンケンで勝ち誇られたら溜まったもんじゃない。
一番幸せなのは、サッカーの試合をなにかの批判にぶつけるのではなく、純粋に結果を楽しんでいる者だろう。大迫が半端なかったり、本田が三角形だったりすることを純粋に楽しむことが出来ている者と比べたら、掌返し批判で脳みその無駄なリソースを割いているものなどは語るに値しない。
あるいは、明日提出のレポートを一切進めずこんな夜中まで長々と掌返し批判批判を行なっている私が一番の負け犬であることは、自明だ。